2011年2月6日日曜日

<テレビのある生活より> 从有电视的生活想到

テレビは24時間連続していて、中断しません。待ってもくれません。議論している論客やタレントの方々は喋る、喋る、喋りまくり。私なんか不器用ですから、聞き流しが得意ではなく、テレビを付けっぱなしにすると、思考停止になってしまいます。だから、受身的に観させられるのではなく、観るなら選んで観ましょうねと思うのです。

电视24小时连续放映,没有休息。也不等人。那些评论家和名人说个不停。像我这等的笨人,不擅长一个耳朵进一个耳朵出的,如果一直开着电视,就会陷入思维停止状态。所以我主张,电视要看也要有选择地去看,而不是"被看"。

同じテレビでも、ドラマや映画はまた違います。「間」がありますから。その間、考えたりすることができます。

同样是电视,电视剧和电影又不相同。因为这些节目里面留有"间隙或余地"。这个"间隙或者余地"让人思考和回味。

この意味で言うと、活字を読むのはまた良いと思います。選んで読めますから、内容もタイミングも。つまり、自分で「間」を作ることができます。

从这个意义上说,阅读更是不错。因为我们可以选择要读什么不要读什么,选择什么时候读什么时候不读。也就是说,可以自己决定时间和内容的"间隙或者余地"。

これで連想しますが、何かを話す時もやる時も似ています。話しっぱなしややりっぱなしでは良くなく、「間」を置いたほうが良いと思います。そうすれば、自分も相手も考えたりすることができるかもしれません。

由此我也想到,说话做事都是一个道理。不要一味地不停地去说去做,要留有"间隙或者余地"。这样可以让自己和对方去思考和回味。

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